三宅島潜水調査3
1.目的
 平成13年6月から始まった三宅島雄山の噴火活動により多量の火山噴出物が海中に堆積した。海中における灰・砂・礫の堆積状況、および水産生物の被害状況を把握する。
2.方法
 1)調査日 平成13年3月20日
 2)調査員 水産試験場資源管理部 米山純夫
        大島分場 工藤真弘
        杉野 隆
  同行 三宅支庁 産業課 山根美沙
      三宅村 観光産業課 長谷川 亘
  調査船 三宅漁協所属 光明丸
                 吉広丸
 3)調査地点 三宅島の東〜北側の5地点(アラキ、オオハシ、アカバッケ、ミノワ、大久保港西図1)
 4)調査項目
  (1)海中における泥、火山灰、砂、礫、石の堆積状況。
  (2)テングサ・トサカノリの着生状況。
  (3)トコブシ・イセエビの生息状況。
  (4)その他特記事項
 5)調査方法 潜水による目視観察、ビデオ撮影、写真撮影、標本採取、日盛り棒の差し込み。
.結果
1)アラキ(写真1〜4) 
 泥流が流れ込み、岸の砂浜が噴火前に比べ拡大していた。昨年8月11日の調査では海底付近は暗黒であったが、今回透明度は5〜6mあった。
水深6〜7m付近:中小の根石・転石・小石帯。砂礫は少なく、根石は殆どが低く(高さ50cm以下)、一帯は平坦である。岩面の大部分は白化しており、付着生物は非常に少なく、わずかにヒメクボガイが見られる程度である。白く変色した部分は固着生物(テングサ類、サンゴモ類、コケムシ類、カキ類等)が死んで色素が失われた部分である。これらのことは、この付近が、一旦火山噴出物に完全に覆われて生物が死滅し、その後堆積物が流出し白化した生物遺骸が現れたことを意味している。やや高い岩の側部は底から30cmの高さまで白化していた。この付近一帯にはトコブシ増殖用の板石(道路側溝のコンクート製の蓋,約60×40cm)が投入されており、数枚起こしたところその内の1枚の裏面にトコブシ稚貝(殻長14.7,16.7mm)が付着していた。
水深8m付近:大岩の間に砂礫が堆積し低い岩が顔を出している。低い岩の表面は付着物の死滅により白化し、また付着物が剥離し、岩肌に表れているものもあった。砂礫中には、拳から人頭大の黒褐色をした溶岩塊がみられ、これらの表面には付着生物の痕跡がみられなからたことから(一部のものには長さ1cm程度のカヤ様の生物が付着)今回の噴火後の泥流によって運ばれて来たものと推察された。堆積している砂は粒子が荒く、昨年8月の調査時に堆積していたゲル状物質(恐らく火山灰)とは異なっていた。大岩の上部は白化しておらず、テングサ・トサカノリ等海藻も着生していた。板石を4〜5枚起こしたがトコブシは成貝・稚貝とも付着していなかった。
水深10m:大岩の間は砂地となっている。日盛り棒は20cm程しか刺さらなかったが、手で探った感触ではその下にもやや荒い礫がある。高い岩の下部は高さ60〜80cm白化しており、かつてはこのレベルまで火砕物が堆積していたことを示している。大岩上部からランダムに採集したテングサ類、トサカノリの平均葉長はマクサ110mm、オオブサ98mm、トサカノリ53mm、であった。
写真1 
写真2
写真3
写真4
2)オオハシ(写真5〜7) 
 泥流が流れ込み、海岸に砂浜ができている。
水深5m付近:水深5mより浅い地帯は噴火前は岩礁であったと思われるが、一面の砂地でリップルマークがきれいに形成されている。砂の粒度は全般的にアラキより細かく、フィンであおると煙のように舞い上がるものを含み、手を入れるとネットリした感触が残る。水深5〜6mで沖側の荒い砂地に岸側の砂地が被さるように比較的明瞭な境界ができている。
水深6〜8m:沖に向かって岩が多くなり、水深7mでは岩と砂地の面積は半々である。岩の下部はほとんど砂に埋まり、起こせる石はみられなかった。岩間には木片の挟まった所が多く陸上から泥流と伴に樹木が流れ込んだことを示している。低い岩の上面は白化しているがヒメクボガイが比較的多く、また、高い岩の上部には海藻が普通に着生していた。
水深10m付近:状況は水深7mとはぼ同じである。低い岩の上面はほぼ白化している。岩間にイセエビ(定着後1年半位の個体)の生息と、クロアワビの死殻を確認した。
写真5
写真6
写真7
3)アカバッケ(写真8・9) 
 噴煙が北東に流れていたため噴煙の真下で、硫黄臭・刺激臭を感じたが、測定値は0.5ppmと作業基準値2ppmを下回っていた。
水深5〜8m:岩盤帯で転石はなく、火山灰・砂礫は殆どみられなかった。岩の表面には僅かに泥様のものが堆積しているが、今回の噴火によるものかどうか不明である。岩上にはサンゴモ類が優占し、テングサは少なく、トサカノリの芽生えが散見される。
水深10m:岩盤の溝に角のある小岩が集まっているが、同様の地形は噴火前にも三七山の下で観察されており、噴火前からの地形と思われる。所々にテングサの群落がみられ異常はなかった。
写真8
写真9
4)ミノワ(ホテルの下)(写真10) 
水深0〜7m:巨岩・根石・転石帯で、φ2m程の大きな岩の間に中小の石が存在する。岩の間は砂諜が若干堆積しているが、昨年8月に岩間に数センチ堆積していた火山灰はみられなかった。岩面の白化はみられず、岩間の砂礫は噴火前からのものと考えられる。転石を10個ほど起こしたところトコブシの成貝(殻長68.6mm)1個体を認めた。また昨年定着したと思われる稚イセエビ3尾を確認した。この他タカベ稚魚の魚群、ヒメクボガイ、ウラウズガイ、ヒメイトマキボラがみられた。岩上にはテングサ・サンゴモ・ハリガネ等海藻が普通に着生しており、昨年8月より着生量が減少している印象はあったが、これは季節的な消長と考えられる。テングサの基部には灰泥の付着があった。
水深7〜8m以深には広い砂地が広がっており粒子の細かいものも混じっているが、今回の噴火の噴出物かどうかは不明である。
写真10
5)大久保浜西(写真11・12) 
水深12m:巨岩(φ2〜5m)が散在する。岩上には僅かに浮泥がみられるが、生物への影響は少ないと思われる。トサカノリは芽生えの状態で葉長1〜3cm程度、着生密度は多いところで20×20cm中に10株程度であった。テングサ(マクサ)は今回の調査地点の中では最も成長が良く、平均葉長は146mmであった。タカベの小群を認めたが、体長は10cm以下と昨年生まれの個体と思われた。
写真11
写真12
4.考 察
 調査した5地点は大きく分けると、1)降灰のみあった地点(アカバッケ、ミノワ、大久保港西)と、2)降灰に加え泥流の流入した地点(アラキ、オオハシ)に纏められる。
 1)降灰のみあった地点は昨年8月にはミノワのように手で掬えるほどの火山灰が堆積していたが、現在では既存の泥と識別が困難なほど減少しており、水産生物に影響を与える状況ではない。しかし、ミノワでは昨年8月11日の調査で、解禁後に未反転であった転石1個当たり2〜3個のトコブシを確認しており、今回の全体で1個のみの確認数に比べて多く、その後のトヨブシの生息数の減少を伺わせる。恐らく、8〜9月の度重なる噴火による降灰で完全に埋没はしなかったにしても、懸濁した火山灰によって障害を受け斃死に至った個体があったと思われる。海藻類は根元の部分に灰・泥の付着している株がみられたものの、大きな影響は受けていないと思われる。
 2)降灰に加え泥流の流入があった地点では、アラキの浅部を除き砂礫が厚さ10〜20cm以上堆積している。堆積している砂礫の粒子は荒く噴火により空中から降下した火山灰とは明らかに異なる。これは、泥流によりかつての噴火で陸上に堆積していた火山噴出物が漁場に流入し、一方、粒子の細かい火山灰が波浪により流出した結果と考えられる。アラキの浅部をのぞき岩・石の下部は砂礫に覆われトコブシの生息できる住み場所はなかった。昭和58年10月噴火後の状況をみると、翌年4月のアラキの調査で、水深3m、5mのトコブシ生息数はそれぞれ2個体/9m²、水深10mでは45個体/9m²であった。今回は浅部の板石に2個体を確認したに止まり、トコブシの被害は前回の噴火を上回っていると言える。海藻類は高い岩の下部では岩面が白変していることから枯死したものと思われるが、岩の上部には残っており、昨年8月にみられた透明度の著しい低下を経ても枯死しなかった。低い岩の上面は白変し、テングサの着生量は非常に少ない。58年噴火と比較すると、噴火翌年の4月のテングサ着生量はアラキの水深5mで955g/m²と急速に回復したのに対し、今回は一ヵ月の調査時期のずれを考慮しても着生量は少なく、被害は大きいと考えられる。


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