16.川の魚から地球を考える

1993年(平成5年)9月24日
 東京の川ですでに絶滅したとされている魚たちには、トゲウオの仲間のムサシトミヨ、タナゴの仲間のミヤコタナゴやゼニタナゴなどがあげられます。トゲウオがいなくなったのは、彼らのすむ湧き水が都市化の進展で枯れたためと考えられています。
 また、タナゴはマツカサガイなどの生きた貝の中に産卵して子供を育てるのですが、水が汚れると、まずこの貝がいなくなります。そしてタナゴも絶滅してしまいます。
 川の中に産卵された卵はふ化して稚魚となり、これが親に育って再び産卵し、子孫を残していきます。このサイクルを「生活環」と呼びますが、この環のうちのどこか一部でも断切られれば、その魚は絶滅してしまいます。
タナゴのなかま図
絶滅してしまったタナゴの仲間
 水が汚れ、河川改修などによって川の自然が壊された結果、東京の川では次のような魚たちが現在危機にさらされています。 一般の人にはヤツメウナギと呼ばれているスナヤツメ、以前は水田でたくさん見られたメダカ、体長五aほどの小さなドジョウの仲間、ホトケドジョウ、河川の最上流に住むイワナ、かつてはどの川でもごく普通にみられたカジカやギバチ。
 こうした魚たちが姿を消していったのは昭和三十〜四十年代の高度成長期であったのは、これまで何度も述べてきたとおりです。そして、これも幾度か繰り返してきましたが、こうした魚たちを川に取り戻すことは、私たち人間の快適な生活環境を守ることにつながっていきます。
 しかし、下水処理をはじめとする私たちの科学技術には限界があります。誤った科学万能主義の今のやり方を続ける限り、水のきれいな「泳げる川」を復活させることはおそらく不可能でしょう。生命に満ちあふれた川を取り戻すためには、もっと基本的な考え方から改めていかねばなりません。

 大ざっばな言い方をすれば、それは社会を変えていくことであると思います。その幾つのかキーワードは、アメリカのアルビン・トフラー氏がもう十年以上前に書いたベストセラー『 第三の波』の中に見つけることができます。
例えば、「自然の敵視から共存へ」、「限りあるエネルギーから再生可能なエネルギーヘの転換」、「マス生産から非マス生産へ」、「生産者と消費者の顔の見える関係の復活」などをあげれば、読者の皆さんには、おおよその内容を理解していただけるのではないかと思います。
 一橋大学の室田武氏の『水土の経済学』も基本的には同じ流れを汲むものですが、農林水産業を基本にした、コンパクトな地域完結型の経済圏の提唱など、内容はより具体的に書かれています。
 いずれにせよ、川の魚を守り、人類の将来に明るい展望を切り開いていくためには、豊かな「水と緑と土」をはぐぐんでいく哲学が必要です。
 いま、私は一つの心配事を抱えています。それは、来る二十一世紀後半の世界歴史の教科書に、「二十世紀の後半、日本をはじめとする当時の先進工業国は、食糧・エネルギーなど地球の大切な資源を浪費し、この結果、人類の現在に大変な損害を与えた」と記述されるのではないかということです。
 自分が死んだあとのことまで心配しても仕方がないのかもしれませんが、私たち日本人の名誉のためにも、こうした事態に陥ることは、何としても避けなければならないと考えているのです。

(おわり)

ホトケドジョウ写真

危機に頻するホトケドジョウ

back

もどる