川の魚たちは今

3.東京アユの復活宣言

1993年(平成5年)6月18日
 四十年ぶりの捕獲という神田川のアユ調査を行いながら、私たちは近くに住むお年寄りからの聞き取り調査も行いました。
 大正二年生まれの八十歳というIさんによれば、大正末期から昭和初期のこの付近は、神田川を挟んで一面に田んぼが広がっていたそうです。川幅は現在の二倍ほどもあり、もちろん岸辺は現在のようなコンクリートで固められたものではありません。
 お話を伺いながら、当時ののどかな田園風景がしのばれ、神田川の現在の姿しか知らない私には、まさに隔世の感がありました。
 その頃の神田川でとれた魚には、主なものだけでも、コイ、フナ、ナマズ、ドジョウ、ウナギ、タナゴ、ウグイ、オイカワ、メダカ、そしてアユなどを挙げてくれました。
 こうしたお話から、水が汚れて現在は姿を消してしまった魚種を含め、かつては魚類生態図鑑さながらの多くの魚がすんでいたことがうかがわれました。
 さて、それでは東京の他の川のアユはどうなっているのでしょう。
 東京都水産試験場では、昭和五十八年以降、十一年間にわたり東京湾から多摩川に遡上してくるアユの数を調査しています。調査開始から九年間の遡上数は、毎年数万尾から数十万尾の間で推移していましたが、昨年は九十万尾、そして、今年はとうとう百万尾を突破しました。
 これは、川の状態はもとより、川から下ったアユ稚魚の保育園となる東京湾の環境条件が良くなっている可能性を示しています。従って、東京湾全体のアユ資源量が増加して、神田川にまでアユが遡上してきたということも考えられるのです。
 昭和三十年代から四十年代の高度経済成長期、汚濁の進んだ多摩川では十数年間にわたって天然アユの遡上は途絶えていました。
 しかし、水質改善の進んだ四十年代の末になって少しずつまた姿が見えはじめ、ここへきて先ほど述べたような遡上量の増加が観察されるようになったのです。
 この話を聞いてすぐに思い出されるのがロンドンのテームズ川です。ヨーロッパ一帯にはアトランティックサーモン(大西洋ザケ)というサケの一種がいて、かつてはテームズ川にも沢山上っていました。
 ところがこのサケ、 一七〇〇〜一八〇〇年代の産業革命の時代に河川の汚染が進み、全く姿を消してしまいました。
 一九五〇年代に入って、イギリスは河川の浄化に力を注ぎ、その結果、八〇年代になって、実に百五十年ぶりにテームズ川にサケが戻って来るようになったのです。
 神田川はさておき、少なくとも多摩川や江戸川において、私たちは東京の天然アユの「復活宣言」を出したいと思います。しかし、まだ決して手放しで喜ぶわけにはいきません。水質が改善されたとはいえ、多摩川下流の川底の石はまだヌルヌルしたミズワタに覆われており、これがアユの産卵を妨げています。アユの快適な産卵にはもっときれいな砂利、つまりきれいな水質が必要なのです。
 もう一つの問題は川の構造です。人間優先の河川水利用のために、多摩川には多くの堰堤が造られています。これらの堰はアユの遡上を妨げ、かつては奥多摩まで上ったアユも現在は府中のあたりまで行くのがやっとのようです。
 こうした問題を解決してアユの安心して住める川にすること。それは、私たち人間が快適に暮らせる環境づくりにもつながっていくはずです。

アユの「はみ跡」写真

笹の葉形のアユの「はみ跡」

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